沢田研二さんの「我が窮状」、、、2015/09/01 21:20

 
沢田研二さんの「我が窮状」の歌と歌詞、楽譜が
ネットで公開されていました。

  窮状、、 きゅうじょう、、 9 じょう、、 九条、、

 確か、2008年に発表された曲だったと思います。

 沢田研二 我が窮状 (YouTube)
  https://www.youtube.com/watch?v=7qnCuckLIbA

 沢田研二さんの「我が窮状」の歌詞と楽譜
 http://blog.goo.ne.jp/kenpou_article-9/e/7402c0053ec98c0755032c0ec4ddb9c1

シャンソン教室に通い始めて3年、、 反戦歌、、、2015/09/01 23:39

西荻の「奇聞屋」さん、、 いいお店です。
 
シャンソン教室に通い始めて、3年になろうとしています。

 私がシャンソンに興味を持ったのは、、
 40年前に、ふと、入った吉祥寺のシャンソニエ「ベル・エポック」で、
 田中朗さんの弾き語りの「兵隊が戦争に行くとき」を聴いたからです。

 [後日追記]
  この歌を作ったルマルク自身も戦時下、兵士となり、家族を失い、
  パルチザン活動もし、戦争の悲惨さを身をもって味わった人です。
  さくらんぼの実る頃、三文ピアノの歌など、400曲を残しています。

 「兵隊が戦争に行くとき」、、、

 2分に満たない曲ですが、、田中朗さん独特の仏和混合の、、
 ピアノ弾き語りの最後のフレーズで、一回だけ、最後に、、、
 生きて帰れるのは、、、「要領のいい奴さ!」と、言い放たれたのが、
 非常に心に引っかかりました。
 和訳の多くは、この部分を「運のいい奴さ」としています。

 批判的に、さげすみで、こう歌われた訳でもなさそうです。
 自虐的に、「俺は、要領よく生き残ってしまった」だけでもなさそうです。
 積極的に、「運も、半分は自分の行ないから生まれる」かもしれません。

 歌詞の世界、詩の世界は深いです。
 
 そんなことから、「ベル・エポック」に、火曜日毎、通うようになりました。
 北店の雰囲気が好きで、南店が開店しても、行くのは北店だけでした。
 1年半ほど、調布から吉祥寺にバスで、通いました。

 仕事が忙しくなり、少し行かないうちに、店の雰囲気も、客層も変わり、
 そのため、足が遠のき、シャンソンからも遠のいてしまっていました。

 3年前、自宅近くにシャンソン教室があり、その講師の、、
 笠原三都恵さんの歌声を、西荻の「奇聞屋」さんで聴き、、
 そのあくる日から、笠原三都恵さんの教室に通い始めました。

 ひと月前、教室の課題曲が、「兵隊が戦争に行くとき」でした。
 嬉しくなって、気合が入ってしまったようです。
 教室のお仲間から、「これは僕の歌だからね」と宣言しているような
 歌い方だったと、冷やかされましたが、その通りだったと思います。

 さて、、、

 いろいろと、シャンソンを聴く機会が多くなってきましたが、、、

  シャンソンには、「反戦歌」が多いと、気付かされるこの頃です。

  沢田研二さんも、ボリス・ヴィアンの「脱走兵」を歌っています。

   https://www.youtube.com/watch?v=wkn8mbTju7U